手裏剣事件第1話「合唱コンクールの課題曲」

11月2日 金曜日 放課後

「よーし、それじゃあ来月の合唱コンクールの課題曲の候補をこれから決めるぞ。誰か推薦者はいるか?」

 瀬川歩が所属する私立清海高校1年A組の担任である荒木武(あらきたけし)が声を張りながら言った。まだ一ヶ月先のことではあるが、12月20日に合唱コンクールが開催されるので、クラスとして歌う課題曲の候補として、推薦曲を放課後の時間を利用して募っているのである。

 本日選ばれた推薦曲は、来週の月曜日に推薦者がCDを持ってきて、教室で流し、その中から再度、クラスとしての課題曲を選ぶ流れだ。

「歩、お前推薦しろよ」

「いや、合唱コンクールで勧めるような曲はあんまり聴かないんだよね」

 歩が会話をしているのは土橋香助。この二人はクラスが同じであり、席も隣である。

「そうかあ? この前お前に教えてもらったピアノ協奏曲だっけ? あれ皆でやろうぜ」

 歩が香助に勧めた曲とはロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」である。最近クラシックにはまっている歩が香助に教えたのだが、

「ピアノ協奏曲をどうやって合唱コンクールで歌うのさ……」

「んなもん簡単だろ、アカペラでやればいいんだよ!」

「高校の合唱コンクールにはハイレベル過ぎるって……」

 歩と香助は課題曲選びそっちのけでだらだらと話している。大半の高校生がそうであるように、この二人にとって合唱コンクールは特に重要なイベントではないので、大してやる気も出ないようだ。

「はい!」

 そんな彼らの様子とは反対に、板野優香(いたのゆか)が勢い良く手を挙げる。髪を茶色に染め、制服のスカートを短く改造し、いかにも今時の若い女子高生といった感じの女子である。

「おっ板野。何かあるか?」

「木枯の『空の向こうへ』がいいと思います」

 木枯とは今をときめくアイドルグループであり、「空の向こうへ」は最近出たばかりの新曲である。音楽ランキングでは週間一位を獲得し、今や若い世代で知らない人はいない。

「ふむ、最近流行りのアイドルグループの曲だな。知名度もあって歌いやすいし、合唱コンクールで歌う曲としては妥当だな。一つ目はそれでいこう。他にはないか?」

「はい!」

 次に手を上げたのは山田理恵である。先程手を上げた板野とは対照的に、黒い髪を肩まで伸ばした、古風な感じの少女である。

「小沢豊の『十六の夜』がいいと思います!」

「おっ、一昔前に流行ったあれか」

 小沢豊の「十六の夜」とは、10年前に発売されたシングルで、十代の若者の大人への反抗心を綴った歌詞が特徴的で、若者だけでなく中年の共感も集め、当時ミリオンセラーになったほどの人気のあった曲である。

 小沢本人は15年前に既に死亡しているが、本人の死亡時には、熱狂的なファンが彼の後を追って自殺するぐらい、若者にとってはカリスマ的存在だった。

 香助が面白そうに歩に話し掛ける。

「歩、歩。それってもしかして『ぬ~すんだ絨毯で空を飛ぶ~』ってやつか?」

「そうそう、『俺も若い時、盗んだ絨毯で空を飛んだなあ』って中年の心も掴んで――ってなんでアラビアンナイト風!?」

「見事なノリツッコミだな……」

 香助と歩が小声ながらも楽しそうに会話する。香助がぼけて歩がつっこむのが、この二人の会話のパターンだが、今回は歩がノリツッコミという新技を披露したので、ぼけた香助が驚いてしまった。

 山田の「十六の夜」という推薦曲に関して、荒木は山田の意見に眉をしかめながら言った。

「だが、あれは学校で歌うにはちょっと反抗的な感じがするなあ。高校の合唱コンクールだし、もっと爽やかな歌がいいんじゃないか。ほら、皆の親御さんも来るし……」

「そんなことありません先生! あの歌は思春期の高校生特有の行き場のない想いを歌にした名曲です! 是非とも合唱コンクールでは、クラスが一丸となって行き場のない熱い想いを全ての保護者にぶつけましょう!」

「ゲストの保護者に何たる仕打ち!?」

 荒木は腕を組みながら、悩むように唸る。それもそのはずである。山田が薦めた「十六の夜」は歌詞も過激であり、幅広く支持される曲が求められる合唱コンクールに向いているとは到底思えない。

「あいつ反抗期なのかな……」

「もう家庭で独唱すればいいのでは……」

 香助と歩がこそこそ会話していると、山田に聞こえたらしく、彼女からぎろっと睨まれて、二人とも思わず顔を逸らす。

「いきなり熱い想いをぶつけられたら、先生も保護者も動揺して、会場のテンションも下がるんじゃないか」

「そんなことありません。私がDVDで観た小沢豊のコンサートでは、小沢と会場のファンとが一体化して、ものすごく盛り上がってました!」

「お前の合唱コンクールに求めるレベル高いな……」

 荒木の苦言も当然である。

 しかし、荒木の曖昧な態度に業を煮やした山田は駄目押しとばかりに続けた。

「それに私、実は小沢豊のサイン入りのCDを持っているんです! 月曜日はそれを持ってきて掛けたいと思います!」

「おいおい、それは関係ないだろ」

 来週の月曜日に、小沢豊のサイン入りCDを持って来るという山田の発言に、香助が真っ当なツッコミをする。いつもならボケ役に回っている香助にしては珍しい。

 ホームルームの時間が終わってから、歩がクラスの友人から聞いた話だが、どうやら山田の父親が小沢豊の大ファンであり、若い時に偶然喫茶店で会った小沢豊に強引にサインを求めたらしい。

 小沢豊はめったにサインをしないことでも有名であり、本人直筆のサインの入ったCDはネットオークションでは数十万の高値で取引されている代物だとか。

 小沢豊の大ファンのお父さんにその曲を歌っているところを見せたいのかな、だとしたらあの態度もわかる気がする、歩はそんなことを考えていた。

「まあ、そこまで言うならいいだろう。あくまでまだ候補段階だからな」

「やったあ!」

 山田の情熱が通じたのか、荒木は渋々了承する。山田としては自慢の小沢豊のサイン入りCDを皆の前で掛けて、曲への情熱を語りクラスの賛同を求めるつもりなのだろう。

「他にはあるか?」

 荒木が他の課題曲候補を募る。

「はい!」

 次に、福原麻衣子が手を挙げる。福原は山田と仲が良く、いわゆる同じ女子グループに所属し、いつも一緒に行動している。

「中田明菜の『飾りじゃないのよ汗は』がいいと思います!」

 仲が良いのだから福原も山田に譲ればいいものを……。

 しかも選曲がかなり微妙だ。中田明菜はハスキーボイスが魅力の女性歌手であり、「飾りじゃないのよ汗は」は一人で歌うには恰好いい曲であるが、アップテンポ調なところもあり、どうみても合唱コンクールには不向きである。

「うーん、まっ候補の段階だからいいだろ」

 荒木はそのことを当然承知だが、あくまでも候補ということで一応了承する。

「やった!」

 そう言いながら、福原は山田と目で合図して、二人で笑顔を交わす。

 さては、仲の良い山田の推薦曲を通すために、福原はわざと合唱コンクールに不向きな曲を推薦したな、と歩は察した。月曜日に課題曲を決める時に、山田が流した「十六の夜」を聞いて、感動したとか言って自分の推薦曲を取り下げるつもりだろう。

「他にはないか?」

「先生、俺からもいいですか?」

「おっ、桜井か。珍しいな」

 次に、歩と同じ部活に所属する桜井桂が手を上げた。

「タンブランツの『アイル・ビー・ゼア』はどうでしょうか?」

「ん、何だその曲は?」

「洋楽なんですけど、口ずさみやすくて、良い曲ですよ。テンポも緩やかで合唱コンクールに向いていると思います。どうかな、皆?」

 桂が皆の方を向いて問いかける。といっても、主に女子だが。

 清海高校トップクラスの美貌を誇る桂に見惚れた女子は「さんせーい」「けってーい」と好意的な意見をそれぞれ口にする。荒木も興味を持ったのか、反対する気はないようだ。

 桂は相変わらず女子からの人気だけは最高である。ちなみに、男子の大半がそのとき「洋楽なんて、かっこつけたものを……」と思っていた。実際、桂もかっこつけようと思って提案したに違いない。

 歩も他の男子同様に思っていると、横から香助に話し掛けられた。

「何かどれも微妙な曲ばっかり候補にあがっていくな」

「荒木先生としては最初の木枯の『空の向こうへ』がいいんだろうね。皆知っているし爽やかだし。だから後はきっと何でもいいんだよ」

「なるほど。――ということは、ひょっとしたらあれもいけるってことか!」

 香助が何かを思いついた顔でニヤリとしながら立ち上がり、勢いよく叫んだ。

「洋楽か、少し変わっているが悪くないな。じゃあこれで終わりに……」

「ちょっと待ったあ!」

 好意的な反応を示す荒木や女子の空気を打ち破るように、香助が大声で叫んだ。

「うわっ! どうした土橋! トイレか! トイレなのか! よし、早く行ってこい今すぐ行ってこいダッシュで行ってついでに掃除してこい」

 荒木も突然香助が叫んだので驚いている。何故か取り敢えずトイレに行かそうとしている。

「トイレじゃねえよ……、どんだけ俺をトイレに行かせたいんだ。しかもついでに掃除させようとすんな!」

 香助はえへんと咳払いして、気を取り直し「俺からも推薦したい曲があります」と高らかに叫んだ。

 また始まった……、と歩は思った。香助は桂にライバル心を持っており、何かと桂に張り合いたがる。また、歩の見ている限りでは、桂も香助をライバルと認めている。

 といっても決して険悪なものではなく、あくまでも良き友人、良きライバルという意味であるが。

「土橋、言ってみろ」

 荒木も、またいつものパターンか、という顔で一応香助の意見を尋ねる。

「はい! それは……」

「それは?」

「マッスルパラダイスの『肉ざかりの君達へ』です!」

 香助の発言にクラス中が騒然とした。

 それはそうである。誰がそんな曲を知っているのだろうか。

「何だそれは。焼肉屋のテーマソングか?」

「はっはっは。これはまた冗談を。マッスルパラダイスといえば十二人のボディービルダーのグループが歌い、踊り、魅せるスーパーマッスルグループに決まっているじゃないですか!」

 香助が挑発的な笑みを浮かべながら荒木に言った。ちなみに、マッスルパラダイスは一部のボディービルダー及びそのファンにのみ人気であり、一般人はその存在すら認知していない。

 「えっ、知らないんですか?」と、いかにも流行のように言う香助に戸惑う荒木をよそに、桂がクラス全体を代表して、香助に向かって否定的な意見を述べた。ちなみに荒木は香助の勢いに押され、「し、知ってるし」と言いそうだった。

「その説明を聞く限り、合唱コンクールに向いている曲とは思えないんだが……。運動会のリレーで、お前が走ってる時に大音量で流してやるから我慢しろって」

 桂の意見にクラスの皆も概ね賛成だったが、香助はなかなか引き下がらなかった。

「うるせえ! まだ候補の段階だからいいだろ。一度皆で聴けば考え方が変わるって。いいですよね、先生?」

「ううん……」

 香助の迫力もあって荒木もはっきりノーとは言えない。

「それに先生……」

 香助が先程の山田と同様のアピールをする。

「実は俺の持っているCD、限定版なんですよ。なんとボディービルダーのコンテストの会場で限定百枚しか売られていないCDなんです! しかも、十二人全員のサインがCDの裏側に書かれている激レアのやつなんですよ!」

「CDの裏側真っ黒!?」「それ再生できるのか……」「十二人全員で最もしてはいけないところにサインをしてしまったな……」
「一人ぐらいそこに書いてはいけないことに気づけよ……」

 香助の発言にクラス中がざわついた……。

 香助が熱弁すればするほど、クラスの雰囲気が徐々に冷めていく。

 それもそのはずだ。ミリオンヒットを叩き出した歌手のサイン入りCDと、一部で熱狂的なファンがいるだけのマイナーグループの限定版CDではぜんぜん価値が違う。

 香助は皆が「うそっ! 幻の限定版CDがここにあったの!」という反応をするとでも思ったのだろうか。

 しかし、香助の気迫に押されて、結局荒木は渋々了承し掛けた。

「さっきも言ったように、まだ候補の段階だからな。俺もちょっと聞いてみたいし、別に構わな……」

「反対です!」

 ところが、荒木が了承する前に、大野静香が声高々に反対を叫び、割り入った。

 大野はショートカットで、バスケットボール部に所属している、活発的な女子である。

「何だと女! 人に意見を言うときは、先に自分の名前を言え!」

「いや同じクラスなんだから知ってるでしょ……」

 歩が思わず口を挟む。

 マッスルパラダイスというマイナーなグループの曲を推薦する香助に、大野は真っ向から反対した。

「そんな誰も知らない曲、認められるわけないでしょ! 合唱コンクールで歌ったら、会場中ドン引きよ。保護者も来るんだから、もっときちんとしたものを選ぶべきだと思います!」

「マスパラのどこがマイナー歌手なんだよ!」

「落ち着いてよ、香助。マイナーは当たってるでしょ。というかマスパラって略すんだ。思わず気軽にネットで検索してしまいそうな感じだね……」

 白熱しつつある香助と大野のやり取りに、歩が一旦二人を落ち着かせようと割って入る。クラスで頻繁に騒ぎを起こす香助をなだめるのは歩の役割であり、それがクラスの暗黙の了解となっている。

「でもよ。月曜日に曲を掛けて選ぶんだし、皆で聴いてから判断してもいいだろう。マスパラが駄目なら、どっちにしても採用されねえって」

 香助の意見も、もっともである。どうやら香助の目的は合唱コンクールで歌うというより、単に皆の前で自分の好きなマスパラの曲を掛けたいだけらしい。

 香助の言うように、推薦曲に選ばれたとしても、どうせ本番で歌う課題曲には採用されないのだから、聴くぐらい問題がないように思える。しかし、大野は断固として反対した。

「土橋君がいくら好きでも、そんなふざけた曲審議するまでもありません! そうですよね、先生!」

 香助、大野の両方に詰め寄られた荒木は悩んだ結果、やはり香助のマスパラは推薦曲から外すことにした。

「まあ、大野の言うことも一理ある。さすがに合唱コンクールでマッスルパラダイスはやばいだろ。先生は聴いてみたいけどな」

「ちっ、もういいぜ」

 荒木の発言を受け、香助は形勢が不利と判断して、マスパラの推薦を諦めた。

 そんな香助の様子とは対照的に、大野はホッと安心したと言わんばかりの表情で、安堵の溜息を付いている。

 マッスルパラダイスを掛けられるのがそんなに嫌だったのだろうか、そう歩が疑問に思っていると、隣では香助が大野に呪詛の言葉を呟き始めた。どうやら聴いてもいないのに自分の好きな音楽を否定されたことが相当悔しいらしい。

「ちっ、大野静香め。覚えておけよ。鍛えぬいた俺の筋肉を駆使して、黒魔術的な怪しい呪文で呪ってやるぜ」

「筋肉関係ないよそれ……」

 結局、合唱コンクールの課題曲は、板野優香の「空の向こうへ」、山田理恵の「十六の夜」、福原麻衣子の「飾りじゃないのよ汗は」、そして桜井桂の「アイル・ビー・ゼア」の中から選ばれることになった。週明けの月曜日にそれぞれ推薦者がCDを持ってくるように荒木が指示し、解散となった。

 しかし歩はまだ知らなかった。この時の推薦曲選びが、後々あんな事件を引き起こすことに……。

「歩、この引きは推理小説でお決まりだな」

「地の文につっこまないでよ、香助……」

第2話「土曜日の試聴大会」に続く


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本サイトの管理人。普段は人材会社でWebマーケターとして勤務。本サイトは私が趣味で書いている小説を掲載したものです。