無敵囲い事件第9話「続・解決編」

 珠姫は少し目を閉じ、深呼吸をし、「さあ、いくぞ」と気持ちを昂ぶらせた。

 それはまるで、舞台を見ていたはず観客が、壇上の役者に変身するようだ。

「この事件の真犯人――それはあなたよ。鈴原弥生」

「ぶほっ!」

 この珠姫の予想外の発言に、今までこっそり話を聞いていたマスターはコーヒーを盛大に吹き出した。

「なんでマスターが驚くのよ……」

 慌てるマスターを尻目に、珠姫は気にせず推理を続ける。

「私ですか! 私は今回の事件にそもそも関係ないですし、友達から聞いた話をしただけなんですけど……」

「私が言いたいのはそういうことではないわ。つまり今回のあなたが語った事件は――」

 珠姫は勢い鋭く、鈴原に綺麗な人差し指を突き出して言葉を紡いだ。

「――作り物だったってことよ」

「え、えっーーー!」

 これには今まで散々いじめられていた鈴原も顔を真っ赤にして反論した。

「なんてことを言うんですか! 私を馬鹿にしているんですか!」

「落ち着きなさい。今からその根拠を説明してあげる。歩が推理した、犯人が用いたとされる凶器、殺害方法等には致命的な欠陥があるのよ」

「欠陥ですか? お言葉ですが犯人の毒殺トリックは凶器を特定させない、こう言っては何ですが見事なトリックだったと思いますが」

「あなたは気付いていないようだけど、このトリックをそもそも実行に移すのは不可能なのよ」

「何故ですか?」

「この事件で使われた毒薬は、警察によると何だっけ?」

「青酸カリですね。それが何か?」

「それが問題なのよ。あなたのために説明してあげる。――青酸カリ、正式名称はシアン化カリウム、水溶液は強アルカリ性を示す劇薬よ」

「どういう意味ですか?」

「青酸カリを経口摂取して嚥下する、つまり口の中に入れて飲み込むことはできないのよ」

「どうしてですか?」

 鈴原は、珠姫の言いたいことがまだ理解できていないようだ。

「強アルカリ性の液体である青酸カリを少しでも口に入れたら、あまりの痛みに吐き出すでしょうね。何せ、青酸カリの水溶液は口内や食道がただれるほど強烈な劇薬よ。さらに青酸カリはかなり苦いらしいのよ。つまり、青酸カリを飲み込むためには壮絶な痛みと途方もない苦味に耐えなければならない」

「……」

 鈴原は青酸カリの特性について全く知らなかったようであり、絶句している。おそらくミステリー小説でよく用いられる便利でお手軽な毒薬という程度の認識しかなかったのだろう。

 ミステリー小説における毒殺事件で、青酸カリは好んで用いられるが、これほど毒殺に向かない劇薬は他にない。

「そんな危なっかしいものを飲み込めるわけないわ。常人なら口に含んですぐに吐き出すでしょうね。これで人を毒殺するなんて到底無理。ミステリーの読み過ぎよ。もし少しでも口に含めば、さっきあなたが唐辛子を吹き出したのと同じように、すぐに吹き出していたはずよ」

 鈴原は何とか珠姫に一矢報いようと必死に言い返す。

「ううう……、でも、それだけで私が嘘をついているって決めつけないでくださいよ!」

「いいえ、根拠はこれだけではないわ。私は最初からあなたの話を嘘だと思っていたのよ。つまり、昨日あなたと出会ったときからね」

「えっ!」

「どういうこと、たまちゃん?」

 これには歩もつい疑問を口にした。歩は青酸カリが犯行に使用された時点でこの事件が鈴原の創作だと気付いた。

 しかし、珠姫はそれより早くこの事件の真実に気付いたと言う。

「歩は疑問に思わなかった? どうして彼女が自分に相談に来たのか」

「それは確かに……」

 歩も珠姫の指摘について全く考えなかったわけではないが、些細なことだと思い、深くは考えなかった。

「でも、清海高校の正門前で彼女が将棋探究部の誰かをずっと待ってて、偶然僕を見つけて声をかけたのかもしれないよ」

「それはないわ」

「どうして?」

「だって彼女はあなた以外の顔を覚えていなかったんだもの」

 これには鈴原も反論した。

「ちょっと待ってください! どうしてそんなことが言い切れるんですか? 私が将棋探究部の他の人の顔を覚えていないって!」

 しかし、この時点で歩も気付いていた。珠姫の仕掛けに。

 何故、桂、香助、銀子が偶然「ペナント」にやってきたのか。偶然にしては出来過ぎていた。そもそも、あの三人だけで行動するなんて今までなかったことだ。

 将棋探究部のメンバーが少人数で出かけるときは、必ず歩か珠姫のどちらかが含まれていた。

「銀子が僕抜きで映画に行くなんて、おかしいと思ったんだよ……」

「あれっ? 自分が仲間外れにされたことに嫉妬してるの?」

「いや、そういうのじゃないけど……」

「話を逸らさないでください! あの三人がどうしたんですか! 瀬川さんの単なるクラスメイトの人達なんでしょう!」

 鈴原はまだ気付いていなかった。

「あの三人も将棋探究部のメンバーなのよ」

「えっ?」

「これを機に覚えておいてね。将棋探究部は、私、葉月珠姫が部長。瀬川歩が副部長、その他桜井桂、土橋香助、中村銀子の五人で構成されているわ」

 正確には他にも何人か部員がいる。しかし、主に部室で活動しているのはこの五人である。

「あなたが目にした校内新聞には、私達五人全員が写った写真が掲載されているわ。新聞部がわざわざ部室に私達の写真を撮りに来たのよ。

 さっき見たと思うけど、歩以外の二人の男子は見た目も特徴的でね。香助は筋骨隆々で体がかなり大きく、桂なんて、そんじょそこらにいるイケメンのレベルじゃないわ。

 二人とも普通は一度でも目にすれば、その印象が心に焼き付けられているはずよ。

 歩なんて、この二人に比べれば、影が薄い方よ。それなのにあなたは歩しか覚えていなかった。どうして?」

「それは……」

「だいたいね、歩よりも先に、私が正門を出た時に、あなた私と会ったじゃない。この容姿端麗の私に気付かないで、歩に気付くなんて、おかしいにも程があるでしょ。将棋探究部の噂を聞いて、清海高校に駆けつけたなら、まずは部長の私に声を掛けるのが筋でしょ。でも、あなたは私の顔は覚えていなかった。どうして?」

 鈴原に対して、珠姫が再び疑問を繰り返す。鈴原は、ここでその解答を自ら語るわけにはいかなかった。なぜなら……。

「校内新聞の写真に写っていた、歩に一目惚れしたからでしょう」

「っつ!」

 ここまで来ると歩は何も言わなかった。そもそも自分の存在が今回の事態を引き起こしたのかと、内心では衝撃を受けていた。

 恋は盲目とはまさに鈴原弥生のためにある言葉であろう。

 鈴原は校内新聞の将棋探究部の部員の写真を見て、歩の顔しか目に入らなかったようだ。その他の人間は、彼女にとって、記憶に留める価値すらない、無個性な凡人に過ぎなかったのである。

 珠姫はお伽話でも語るように、両手を広げて、ゆるやかな口調で鈴原が毒殺事件を創作した動機を語り始める。

「ある日、一人の少女は偶然清海高校の校内新聞に載っていた一人の少年を見て衝撃を受けた。彼はまさに理想のタイプだ。自分が夢にまで見た白馬の王子様が、そこには写っているではないか。どうしたら愛しの彼に近づけるだろう。少女は考えた、調べた、観察した。そして気付いた。少年がかつて奨励会に所属していたことに。インターネットで少年の名前を検索すればすぐにわかったでしょうね。当時は天才美少年棋士としてかなり話題をかっさらったもの」

 話しながら、珠姫は歩と共に奨励会に所属していた頃を思い出した。常に将棋の事のみを考え、将棋に心血を注いだ日々。あの頃の二人には将棋以外何もなかった。ただ、そんな毎日は、決して辟易するものではなく、むしろ充実したものであった。

「少年にとって将棋は単なる趣味ではなく生き甲斐だった。そこで少女は再び考えた。彼はこの前不可解な事件を鮮やかに解決し、脚光を浴びた。このことと将棋を結びつけることができれば、きっと彼は私に興味を持ってくれる」

「もうやめて!」

 鈴原は耳を塞ぎ悲痛な面もちになっていた。

「そこで、彼女は奇抜なトリックと将棋、二つの性質を有した事件を創りあげた。そう、将棋の駒を使った毒殺事件を……」

第10話「歩と珠姫の過去」に続く


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本サイトの管理人。普段は人材会社でWebマーケターとして勤務。本サイトは私が趣味で書いている小説を掲載したものです。